第14話   竹竿採りは宝くじと同じ   平成25年05月31日  

 最近は苦竹の生えている場所は、本当に少なくなった。以前竹は土止めとして暴れ川の堤防の決壊する場所等に植えられていたものだった。特に苦竹の群生は根が深く地中に入り込んでいる事が多いので土手を洪水からしっかりと守っていたのだが、近代的河川改修の名の元コンクリート化され大部分が無くなった。
 また川の流れが変わってすっかり陸地となってしまったところに、大きな群生が残された風景があったものだったが、それらは戦時中や戦後の食糧増産の名のもとにすっかり畑や田んぼに代わってしまった。あと良く見られるのが、冬の季節風から農家の家を守る為の生垣の代わりとなった苦竹がある。これらの竹は昔農作業にも使われた必需品でもあった。その為適度な間引きは、良き竿竹が生える事にもなった。竹藪も適度な間引きがないと良い竹竿は育たない。放ったらかしの藪にはほとんど竿の出来る竹は育たない。農作業の変化は、すっかり竹を使う作業が無くなってしまった。現在自然に残された矢竹や苦竹等を使っているのは7080代のお爺ちゃん、お婆ちゃんの世代だけである。
 そんな訳で昨今の竹藪や群生は非常に少ないのに加え手入れされない竹籔が殆どである。だから竿竹に出来る竹を探すのは、中々大変なのである。黒鯛を釣る為の竿と云ったら、最低でも三間(5.4m)は必要と云われた。出来れば4間(7.2m)は欲しい所だ。今では二間半(4.5m)の長さの竿竹を探す事も中々容易ではない。良い材料が手に入らなければ、良き竿など無理と云う物だ。
 竹藪でまず探すのは、最低でも三年以上たった苦竹である。出来れば四年以上たったものは堅く締まっており、良い物が出来る。竹が良くても、傷ついていたり、扁平だったり、歪だったりして根が悪ければその竿は台無しとなる。その為名竿師でも捨てるのが勿体ないとして竿を生かす為に根を切り落とし、桜や樫等の堅い木の芯を使ったりして根を作ったりした。
 実際竹藪に立つと余程のベテランは別にして周りの竹に目移りして良き竹の選別は容易ではない。良い竹だと思って採って来ても家に帰って良く見ると竹が丸くなかったり、竹の節目が根から穂先まで奇麗に並んでいなかったり、竹肌に擦れが見られたり、根に傷がついていたりと様々な欠陥の目につくものばかりだったと云う事がある。
 だから現在に至るまでまずまずの竹を採ったことがあっても、全てに完全な竿竹と云う物を今まで採った事が無い。過去に宝くじが当たったと云う経験と全く同じように当たった事が無いのと同じである。明治、大正の名竿師上林義勝が同行した釣道具屋が河北(最上川の北)の竹藪から23日かけて竿竹3000本採った時でも、僅かに二十数本しか採らなかったと云う逸話の意味が分かろうと云う物だ。後日談がある。釣り道具屋の採った3000本は全て駄竿だったと云うから、まぐれでも素人には良き竹竿などは中々採れるものではないと云う事を・・・・。その確率は買っても買っても、中々当たらない宝くじのような物である。